ウェディングフォトグラファーである私が、
現場でよく耳にする言葉
「遺影にするから綺麗に撮ってね」
自分の写真を遺影として使ってもらえること
もしかしたら、
これが写真を撮っていて1番嬉しいと感じる瞬間かもしれない

遺影を撮ろうと思ったきっかけ

以前、妻の叔母から、父の遺影にできる写真を
撮ってほしいと頼まれた
おじいちゃんは仕事をするのが好きで、
最後の時まで引退せずに
仕事に生きてきた人だ
大好きな自宅の仕事用デスクに
お気に入りのジャケット 午後の穏やかな日差しが差し込む
おじいちゃんは少し凛々しい顔をしていた
人の生き様は顔に出る

歳を重ねると、
写真を撮られたくないという人は増える
フォトグラファーとしては寂しい意見だが、
それが現実なのかもしれない
残された家族や親戚が故人の写真を見て
「あの人らしいなぁ」と、
人柄を感じられる写真を撮っていきたい
祖父を撮った写真が遺影となった時、
強く感じた気持ちだった

大切な家族や親族の人生の終わりと
向き合うことで、初めてこみ上げてくる想いも
あるだろう
改まって家族写真を撮る機会なんて、
あえて作りにいかなければ叶わない
写真スタジオで堅苦しい撮影をするのではなく、
いつもの場所、いつもの環境で
ありのまま、自然体で撮らせてほしい
業務的に撮影をこなすようなことはしたくない
せっかく撮らせてもらえるのなら、できる限り心を寄り添わせたい
仕事としての効率は悪いのかもしれない
けれどそれでは撮る意味が無いと思ってしまう
ほんの少しでも構わない
家族に対する想いを共有させてほしい
一年に一度、
あなた達の家族を私に撮らせてください

出張遺影撮影に対する想い

写真には不思議な魅力がある
写真を見た人間は、一瞬でも必ず何かしらの感情や思想が心に芽生えているはずなのだ。
人が写っている写真ならば、「いい笑顔だなぁ」「楽しそうだなぁ」「ちょっと寂しい気持ちになる」「勝手に涙が出てくる」その写真を見た時の心境によって、本当に様々な感情が芽生えるだろう。

では、遺影写真ではどうだろう。
「遺影用に撮影をする」とストレートに言葉だけ受け取ってしまうと、かなりネガティブな考えになってしまうかと思う。

先日、親友の父親が亡くなり、お線香をあげに行った。位牌と遺影を手際よくならべる友人。僕は静かに手を合わせた。
「この写真、結婚式の時のやつ?」
「そうそう。写真全然なくてそれしかなかったわ」
友人が結婚式をした時の写真を拡大して遺影にしたようだった。7,8年程前だったはず。
結婚式という場だから、格好はビシッと決まっているが、顔はやはり緊張した様子が見られる。遺影の姿を見ながら、生前お世話になったことを思い出していた。
「学生時代、だいぶお世話になったけど、結局何も恩返しできなかったなぁ」
もちろん自分の父親では無いのだけれど、ものすごく悔しい気持ちになってしまった。

遺影は、普通の写真と比べると、表面的な感情だけではなく、もう少し深く何か感じる部分があるはずなのだ。

仏壇の前で手を合わせる時、
遺影と向き合い想いを馳せる

仏壇の前で手を合わせる時、遺影と向き合い想いを馳せる。
遺影がその人らしさをより感じられるものであったのなら、それが遺族にとっても望ましい形なのではないだろうか。
もちろん、どんな写真であってもその人であることに変わりはない。それは間違いないのだが、自身で望んで「この写真を遺影にして欲しい」と思えるような写真があるということは、残された家族からすれば「遺影どうしよう」という悩みは、すでに解決されていることになる。

年齢が若ければ死ぬことは無い。そんなことは誰にも約束されてはいない。人はいつ死ぬのかは誰にもわからないが、いつか必ず死ぬという事実は絶対に変わらない。
人生を70年80年と謳歌し、もう先が決して長くは無いとわかっているからこそ、終わりの時としっかりと向き合う。

僕は、その長い人生の結晶とも言えるような写真が撮れるように最善を尽くし、胸を張ってこれが自分の遺影なんだと言ってもらいたい。自ら望んで遺影用の撮影をすることは決してネガティブな物なのではなく、ポジティブな物であると思ってもらいたい。

一年に一度だけ、撮影の日を作るのも良いだろう。
つい先日僕は、毎年の誕生日に写真を撮ってプレゼントする事を義母と約束した。
一年に一度、お気に入りの服を着て写真を撮る。楽しみな日が増えたなら僕は嬉しい。

写真撮影は不思議なもので、
写真を撮っている人間の感情や思いが
多かれ少なかれ反映されてしまう

写真撮影は不思議なもので、写真を撮っている人間の感情や思いが多かれ少なかれ反映されてしまう
これは普段カメラと向き合って撮りまくっている人にしかわからない感覚かもしれない。

写真を撮られている人が「このカメラマン適当にやってるなぁ」「何かめんどくさそうに撮ってるなぁ」と感じ取ってしまう事は珍しくない。
カメラマンの態度が悪ければ、撮られる人の顔にそれが出る。
撮り手の感情が写真に反映されるとは、つまりこういうことでもあるのだ。

もちろんカメラマンも1人の人間である以上、体調や日によって気持ちが変化してしまう。
体調があまり良くなかったとしても、撮影に一生懸命臨む気持ちがあれば、それはきっと相手にも伝わるはず。
逆に撮られる側があまり乗り気ではなかったとしても、カメラマンの気持ちが少しでも伝われば、気が変わって撮影を楽しもうという気持ちになるかもしれない。
だから僕はまず、何よりも一生懸命であるということが一番大事であると考えて撮影に臨むようにしています。

撮影実績